こよみ解説

〜こよみちゃんを便利に使うために

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◇太陽暦の1年

暦の組み立てを理解するためには、まずは天体の動きを知ることが必要である。周知の通り、地球は太陽の周りを1太陽年でひとめぐりする。1太陽年の長さは平均365日5時間49分ほど、小数で表すと365.2422日である。これだけの時間をかけて地球はちょうど太陽の周りを一周してもとの場所に戻ってくるのである。私たちが現在使っているグレゴリオ暦は4年に一回閏年として1年を1日長くし、さらに400年に3回閏年をはぶくことによって、この端数を調節している。このように太陽暦であるグレゴリオ暦は太陽と地球の関係だけをもとに作られている。太陽暦では、「月」といっても一ヶ月の長さは月の動きとは関係ないのである。

◇太陰太陽暦の1年

一方、日本で明治5年まで使用されたいわゆる旧暦は太陰太陽暦といって、その仕組みは複雑で太陽暦のように簡単ではない。大きな違いは月の満ちかけの一周期を暦の基準としている点である。月も地球のまわりを回っているが、月が太陽の方向と一致し、ひとめぐりしてまた太陽の方向に戻るまでを1朔望月という。1朔望月の長さは平均29日12時間44分2.8896秒、小数で表すと29.530589日であるから、太陰暦では適当に大の月(30日)と小の月(29日)を配置して1ヶ月の長さの平均が1朔望月に近づけている。ここまでなら純太陰暦であるが、太陰太陽暦はさらに1太陽年と1朔望月をうまくかみ合わせて、季節と毎年の日付ができるだけ一致するように作られている。これは太陽の動きと結びつけなければ日常生活に不便だからである。すなわち、1年を12ヶ月としたとき、単に1朔望月を12倍しただけでは1太陽年と大きくずれてしまうので、32ヶ月か33ヶ月に1回閏月を置いて1年を13ヶ月とする年を作るのである。

◇日本で使用された暦

ひとくちに太陰太陽暦といっても、時代によって暦法の計算方法は様々である。日本で使用された暦法には元嘉暦・儀鳳暦・大衍暦・五紀暦・宣明暦・貞享暦・宝暦暦・寛政暦・天保暦の9種類がある。計算法の詳細は非常に複雑で難解であるのでここでは述べないが、1朔望月の求め方や計算に使用する定数などがそれぞれ異なっている。ただ、暦日の計算に関しては次のような点が重要である。昔は朔旦冬至といって冬至が11月1日に当たるのを祝った。中国の古い暦法によると19年毎にこんなことが生じるが、改正された暦法の場合でも無理にこの習慣を保存するため、19年たって計算上冬至が11月2日や10月晦日になると計算結果を変えて冬至を人為的に11月1日にもっていったことがあった。あるいは四大といって4ヶ月大の月が続くのを避けるためや、元旦の日食や閏8月を避けるなどのことがあって、必ずしも日付が暦法による計算通りに行われないことがあった。暦日というのは、あくまで実際に施行されたものが正しいので、どんなに計算が正しくても変更された事実が分かれば、その史料に従って計算結果を変更しなければならない。《このため、こよみちゃんでは旧暦の日付は計算ではなく、すべて表をもとに求めている》

暦法始行年(西暦)撰 者暦法掲載
元嘉持統天皇6年( 692)何承天宋  書
儀鳳文武天皇元年( 697)李淳風旧唐書・唐書
大衍天平宝字8年( 764)一 行旧唐書・唐書
五紀天 安 2年( 858)郭獻之唐  書
宣明貞 観 4年( 862)徐 昂唐  書
貞享貞 享 2年(1685)保井春海貞享暦書
宝暦宝 暦 5年(1755)安倍泰邦ら暦法新書
寛政寛 政10年(1798)高橋至時ら暦法新書・寛政暦書
天保弘 化 元年(1844)渋川景佑ら新法暦書

◇グレゴリオ暦とユリウス暦

グレゴリオ暦(Gregorian calendar)はローマ法王グレゴリオ13世の制定した太陽暦で、1582年より採用された。それ以前は、いわば太陽暦の旧暦であるユリウス暦(Julian calendar、シーザーによって紀元前46年に制定された)が使われていた。どちらも平年365日、閏年366日であるが、ユリウス暦は400年に100回の閏年があるのに対しグレゴリオ暦は400年に97回の閏年がある点が異なる。ユリウス暦で1582年10月4日の翌日がグレゴリオ暦の10月15日となる。《こよみちゃんでは、天正10年9月18日以前をユリウス暦、19日以降をグレゴリオ暦として変換している》

◇明治改暦

明治より前の改暦では太陰暦同士の改暦で、日付の不連続はなかったが、明治改暦は西洋から持ち込まれた太陽暦への改暦ということで、明治5年12月は2日で打ち切られている。翌12月3日は明治6年1月1日となり、この日から日付が西暦と共通になった。明治政府はこの年の改暦を相当急いでいたようであるが、それは明治6年は旧暦のままでいると閏月があり、前年より官吏の月給制を採用した政府にとって、13ヶ月の月給を支払うことは財政的に見て大問題であったから、というようなエピソードもある。

◇いわゆる旧暦とは

現在、旧暦と呼ばれているものは明治5年(1872年)12月2日までわが国の公式の暦として使用されていた太陰太陽暦の一種である天保暦のことである。太陽暦に切り替わって100年以上経過したが、いまだに民間では生活のある面(冠婚葬祭、通過儀礼等)と旧暦が深く結びついているのが現状である。旧暦は天保暦そのものだが、1つ異なるのは天保暦が「京都における地方真太陽時」を基準にしているのに対し、現在の旧暦は「東経135度における地方平均太陽時」を基準にしている点である。

◇元号と改元

元号は年号ともいい、東洋における紀年法である。中国では漢の武帝の時から行われた。日本最初の公式元号は645(大化1)と考えられているが、これを疑う説もある。701(大宝1)以後は連続して今日まで続いている。元号を改める改元は天皇大権に属し、原則として新天皇の即位の始めに改元する代始改元が一般的であったが、そのほかにも特殊な事情によって行われた改元として、祥瑞改元・災異改元および革命・革令改元などがある。明治以降は改元は一代一元に定められた。また、公的な年号のほか、中世以降地方豪族・寺社などに私年号が使用されたこともある。

◇六曜

六曜は先勝(せんしょう)・友引(ともびき)・先負(せんぶ)・仏滅(ぶつめつ)・大安(たいあん)・赤口(しゃっく)からなり、一般には、この順序六日間周期で同一の日となるが、旧暦の月が新しくなると、この順序に従わずその月固有の六曜の日からはじめる。日の吉凶を占うためのもので、古くは鎌倉時代に伝わったものといわれる。江戸時代に今の形となった。

◇干支

甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)を十干といい、子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)を十二支という。これら双方の始めから1つずつ取り出して甲子(きのえね)・乙丑(きのとのうし)・…と組み合わせ、十干の方は癸までいったら甲に戻り十二支の方は亥の次に子に戻るという具合にすると、60通りの組み合わせができる。これを干支という。年に対する干支と、日付に対する干支がある。

◇ユリウス日

1年のうちある日を月日で表せば1月1日からの経過日数を大体知ることができるが、正確に何日経過したかは平年、閏年を考慮して各月の日数を足してゆかねばならない。さらに何年間かにまたがった2時点間の日数、年号の違う年の間にまたがる2時点間の日数を勘定するとなると計算は面倒となる。このような要求に対し簡単で正確な解答が得られる1つの方法が、ユリウス日を用いたユリウス通日法である。ユリウス日はフランス人で年代学の父と呼ばれている Jeseph Justus Scaliger によって提唱された通日法で1638年に発表された。これはユリウス暦でBC4713年すなわち-4712年の1月1日を起算点として経過日数を表したものである。ある日時のユリウス日がわかっていれば、2時点間の経過日数は単なる引き算によって得られる。

◇参考資料

日本暦日原典[第四版] 内田正男編著 雄山閣出版 1975
新こよみ便利帳 暦計算研究会編 恒星社厚生閣 1991
角川日本史辞典 高柳光寿・竹内理三編 角川書店 1966

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